2017年10月8日日曜日

今年は、日常生活の中に「シェル」や「シェルター」という言葉がよく出てくる。
攻殻機動隊の実写版Ghost in the shellや、ArrivalのShellもそうです。テレビでは連日、北朝鮮のミサイルが飛んでくる日を想定しての、City of the Sheter in the U.S.が取り上げられていた。
"Shelter"
語源をさかのぼるー1575年頃から、"Shield"とほぼ同義で使われ始めたようだ。
その"Shield"は、というとそれ以前から、約900年頃にはすでに使われていた言葉のようだ。http://www.etymonline.com/index.php…
では"Shield"はどこから来たのか語源を遡ると"Shell"にたどり着く。
Ancestors of the word shield include the Old English scild, similar to sciell, or "shell," which suggests the meaning of the word. If you're a turtle, you might use your shell as a shield. ( https://www.vocabulary.com/dictionary/shield )
Shellから派生してShield、それからShelterへ。
歴史が進むことでShellから派生したShield、そして更に進んだShelterという言葉。
武器の攻撃規模が大きくなるとともに言葉が生まれたかなぁと思う。
Shieldが個人の体やわりと狭い範囲を防御するのに対し、Shelterは更に大きな範囲を防御する。
言葉は必要に迫られて新しくなる。何か新たな状況や概念に出くわしたら、それを形容するために言葉ができる。"Shelter"「シェルター」の意味を、私たちは共通にイメージできて、その必要性を語れる。「シェルター」という言葉には、自分の体よりも大きな、住む街全体をカバーするような、そんな規模感がある。
アニメや映画といったメディアで、「シェルター」や「シェル」という言葉が頻出し、私も当たり前のように語彙やストーリーを理解できるのは、そして共感するのはなぜか。
何か大きな脅威から身を守るための物質が自分の頭上に欲しいと無意識に考えている・・・?
それでも週末をいつも通りに過ごし、月曜日はいつも通り会社に出社するという不甲斐なさは、会社員の特権。日常生活を振舞うことを約束した特権。
そんな夜は頭から布団をかぶって、アニメ「貝社員」でも観るのが最高。


語彙メモ

用法基盤モデル Usege based model

認知言語学の用語で、言語の構造を、実際の言語使用によって形作られるものとして説明するモデル。この用語は始めにLangackerによって提唱された。認知言語学では、言語を閉じた規則とレキシコンの体系として規定していくのではなく、実際の言語使用の定着度、慣用度という観点から言語の体系を記述していく。この用法基盤モデルのアプローチでは、認知主体が言語使用をすることで、認知主体の言語活動、言語の体系にどのような影響が見受けられるか、というボトムアップ的アプローチを重視する。
Bybeeの一連の研究に見られるように、従来生成文法で「言語能力competence」の問題として捉えられてきた問題が、「言語使用performance」から記述・説明できるようになってきている。例えば、英語の過去形における規則活用不規則活用において、トークン頻度の高い動詞においては、不規則活用がそのまま残り、トークン頻度が低い動詞においては、-edに置き換わるという事実が挙げられる (Bybee 1985: 119-120)。実際に発話中にどのくらいの頻度である形式が産出されるか、という言語使用の側面が、言語システムそのものに影響を及ぼすということが、特にBybeeの一連の研究によって示されてきている。
日本の伝統的な国語学においては、コーパスという名称が言語学に導入される以前にも、「計量国語学」的視点によって数々の言語事象が量的な観点によって記述されてきた。また西洋でも機能主義言語学が発達するにつれて、Thomas Givon, Paul Hopper, Sandra Thompson等によって談話と文法の関係が盛んに論じられてきた。よって、この用法基盤モデルは、生成文法というシンタクスを自律的と考える言語観とのアンチテーゼと考えることもできるが、むしろ伝統的な言語研究の上に立つモデルとして捉えることも可能である。

また一方でこのモデルは、言語を「言語ユニットが組織的に構造化された実体」と捉える言語観を導き出している (Langacker 1987)点で、構文文法とも親和性を持ち、また言語使用の文脈から、言語システムを見るという点で、必然的にコーパス言語学とも親和性が高い。今後もコーパスを使用した実証的な研究がますます期待される。

2017年9月30日土曜日

認知科学会@金沢 所感

9月14/15日、認知科学会に参加してきました。
忘れないうちに、ポスター発表から講演を通して自分自身が感じたことをまとめる。

印象深いキーワード 
・プロジェクション 
・マルチモーダル 

印象深く残ったポスター発表
・行為の様相が行為文理解時のボタン押し反応に与える影響
・構文作成型の第二言語習得

印象深く残った講演 
・オントロジー
・論理学ヘテロジニアス証明
・浅田稔先生のロボット
・言語学 SVOジェスチャー実験




まずポスター発表をウロウロ見て回った。
ポスター発表は研究レベルのばらつきが激しい。
面白いと思ったのはp2-2「行為の様相が行為文理解時のボタン押し反応に与える影響」粟津俊二さん(http://www.jcss.gr.jp/meetings/jcss2017/proceedings/pdf/JCSS2017_P2-2.pdf)
の研究であった。身体的な行為を表す文を耳にすると脳の運動野が賦活するという内容は以前から研究されていた分野である。その先行研究の延長として、文の動詞の違いによって反応の速さに差が出るのか調査しているようだ。実験では、手に関わる行為の動詞を耳にしたときに、意味がわかればボタンを押す、という実験手法をとっている。手行為文の理解時に、手の動作がシュミレートされているならば文の意味する様相によってボタン反応時間が影響されるであろう、という仮説だ。


で、実際仮説が正しかった。

例えば、「撫でる」と「殴る」では、前者は行為の速度は遅くて小さく、後者は速くて大きい。実験結果では、動作が大きく、早い行為の方が、反応は遅くなったらしい。

面白いと思った。
脳が時間や記憶というデータをどう扱ってるのか、にも関係してくる話だ。

私は夢をよく見る。
朝方パッと目が覚めて、時刻を見て、再び眠りに入る。
そして様々なストーリーの夢を見る。映画だと1時間かかるストーリーと情報量だ。
再び目が覚め、時計を見ると、時針が1分ほどしか進んでいない。
そんなの不可能だ、夢の中で物語の展開がいくつもあったのに。
どう考えても1分で説明できる内容ではないのに。。


人の脳は、時間情報を圧縮されたまま理解できるということではないかな、と思ってる。
1時間がどのくらいの時間であるのかを理解するのに、1時間を体験する必要はないのだ。時間という始めと終わりのあるリニアな情報を、一つのZipファイルのようなパッケージとして取り扱っていて、これはすごいことだけど、ファイルを展開することなく中身を理解できる。短時間で長時間を取り扱える。

私は、
この粟津さんの研究を見て「動作が大きく、速い行為の方がボタン押しの反応が遅くなる」のは、まさにこの"時間情報の圧縮機能"があるからじゃないかなーなどと考えていた。

速い動作が動作のはじめと終わりを含めたパッケージ時間情報であるとして...

例えば
「殴る」は「腕全体を後ろに引いて、拳を前に動かす」という一連の行為のパッケージ情報。
「撫でる」は進行行為の情報だ。

(今ふと思ったのだが、動詞にも包含関係がある。
{引く,反る,力を入れる,当てる}∈殴る 「殴る」動作を形態素に分けることができる。
)

一言に動詞、と言っても、どのくらいの情報量を圧縮してる語彙であるのかによって違う。そして脳は、その語彙の情報圧縮度合いによって、取り扱い方を変えているのではないかと思う。

そんな感じで、
現在の身体活動に近い動詞に対する理解反応は早くなり、身体的に再現しにくい動詞(概念的でパッケージ情報として扱っている動詞など)には、現在の身体活動から遠いという意味で反応が遅くなったということと、動作(時間)情報の圧縮度により反応速度が変わるのかもしれない、と思った。







2017年8月15日火曜日

[読了Note]はじめての認知科学 (認知科学のススメ)

【Title】はじめての認知科学 (認知科学のススメ) 単行本
【Author】内村 直之 (著), 植田 一博 (著), 今井 むつみ (著), 川合 伸幸 (著), 嶋田 総太郎 (著), 橋田 浩一 (著), & 1 その他
 【Publisher/year】出版社: 新曜社 (2016/3/7)
【KeyWords】認知の癖 言語認識 幼児の認知発達 推論 人工知能  情報科学
【Summary】認知科学についての入門書。認知の癖について。モンティホール問題を始めとした、直感と現実のギャップ、推論方法の癖を指摘。情報科学が発達した1940年代から、認知科学は人工知能科学と共に生まれた。ミクロな視点では脳神経科学から社会活動といったマクロな視野を取り入れた、様々なスケールを用いた分野横断型研究が認知科学である。複雑な要素の絡み合った現実をいかに研究対象としてアプローチすべきか、認知科学的な考え方とは何かを優しくまとめた入門書である。認知科学の「ニン」の字も知らない忍者な私でもすんなり読めた。


【Detail】
●第一章では、心の学問「心理学」と情報科学の発祥について触れる。
 19世紀後半から実験心理学が始まった。自然科学者が現象を定量化する中、心理学者たちは心の仕組みを”客観的に”説明するために奮闘した。そこで条件反射という客観的指標を取り入れた。その後1913頃にはアメリカで行動主義という心理学の方法が提唱されるようになった。"刺激ー反応"その対を繋ぐものが学習とする。トルーマンの実験は、ネズミには、刺激の質が違えど地図(位置情報)を把握する能力が備わっていることを示唆している。

心の中に存在していて、心が扱える対象を総称して「表象」と呼ぶ。representation.
20世紀後半にはコンピュータの発明により情報科学の基本的な考え方が生まれた。
<認知科学と人工知能が生まれた背景:The background of twins : cognitive science and AI field>
1936. アラン・チューリング チューリングマシンを構想
1945. フォン・ノイマン  CPにプログラム概念を格納するというアイデアを提唱1948. 生物と機械の構造制御分析したサイバネティックス出版
同年  ヒクソン・シンポジウム「神経系の働き」討論
1950.    チューリングがチューリングテストを提唱
1956. ダートマス大学で人工知能と認知科学という2つの研究分野が生まれた


●第二章では、人の脳と情報処理を重ねて、記号や表象、言葉の処理の仕方を論じている。 認知科学がミクロからマクロまで扱う学際的な分野であること。例えば神経細胞から脳を考える場合、一つの神経細胞には思考もなければ意識もなく「発火」という興奮状態があるのみで意味はない。多くの神経細胞がお互いに結合しあってネットワークを繋げ大きくなると、様々な機能を持つようになり「意味」の萌芽が出てくるようになるのだ。
心や脳について解明しようとするときには、このようにいくつものレベルで考える必要がある。
言葉の獲得について。子供が言葉を学習するときには推論能力を使っているであろう。
原因→結果の連合学習・統計学習を行い、強制して行くことで言語・行動パターンを覚える。
ここで「記号接地問題」というものが出てくる。ある記号とその記号を取り巻く記号がどういう関係にあるかを知っていること、ある記号とその周りの接地されている記号を理解することが、本当にその記号の意味を知っているのだ、という立場だ。例えば、形式的な記号「パパ」などの音システムがどのように現実の意味と結びついて行くのか明らかにしようとしている立場が記号接地問題だ。
最近では、脳内にはカテゴリ分けた言語「辞書」があるとみられるようになっている。 「こころの辞書」メンタルレキシコンは、言葉の意味はもちろん、使用時の特徴、発音の音、そこから連想されるイメージ、関係する概念がネットワークの結びつきについてを研究対象とする。

●第3章は、こころと身体と言語についての関係をまとめている。嬉しいから笑うのではなく、笑うから嬉しくなるといった、唯身体論から、他人のジェスチャーを見るだけで、自分の脳内でも同じ動きをしたような賦活が起きるミラーニューロンなど、他者に共鳴する能力についてを考える。
アフォーダンスについても述べている。モノの形や色によって、ある行動が喚起される、というのがアフォーダンス(affordance)だ。例えば、取ってのないコップがあれば、人はそれを握るし、取ってがあれば指で引っ掛けて持つようになる。モノの形が、ある特定の運動を引き起こしていると説明する。An affordance is the possibility of an action on an object or environment.
ことばが世界に与える影響について。ことばは世界を分節化して理解するツールである。身体性だけで処理できる世界と、言語を獲得した後の世界はどのように違うのか。身体性による処理は、「今・ここ」という場に限られるのに対し、言語能力は、「今・ここ」を超えた現象を説明し伝達し、共有して行くことを可能にする。


●第4章は、チンパンジーと人の認知方法の違いについてだ。 チンパンジーは、情報を圧縮し(冗長な文字列を自主的に一つの記号として)記憶するといったことができないことがわかった。例えば、abbabbaabbという文字列がある場合、abb=A と記号つければ、AAaAと簡単に覚えることができる。が、チンパンジーはこれができない。

対称性について。Aの後にBという事象が成り立つとA→Bという因果関係を構造化しA→Bが成り立てばB→Aも成り立つと考える(認知バイアス)を対称性推論と呼び、人間特有のものである。チンパンジーに限っては前者のみ理解できるが逆向きの流れは理解ができない。
ただし、推移的推論(三段論法)は、チンパンジーでも可能であることがわかっている。


●第5章では、これからの認知科学のテーマについて述べている。 人間が概念化できて人工知能にできないもの「美的感覚」などについて述べている。
ゼミの先生が言っていたように、人工知能にとっての「意味や美しさ」は我々がもつ「意味や美しさ」とは異なるものである可能性があるので、人の思考バイアスとコンピュータ的思考を別ものとして想像した方が面白そうである。

 

2017年8月2日水曜日

勉強したいことがあるので・・

最終のブログから随分時間があいてしまいました。
報告ですが、今年の4月より言語学(関連した学際)を学びに大学院へ通うことになりました

まあ普通に会社員ですので、平日夜間または土日講義に出て、単位を取ります。
両立できるよう工夫する。久しぶりなので、改めて自己紹介させてください。

私ココワワについて

職業
Web系の開発会社に勤めていて、主に対話ボットを作ってます。

●流れ
大学では映像専攻→米の金融会社で働く→パズル制作会社で働く→Web会社で働く

●趣味(誰得の情報かわからんけど、とりあえず)
趣味1:音楽鑑賞、制作。誕生日には自分へのご褒美()としてMyマイクを購入予定。
趣味2:言語習得。

●興味
人間の認知活動全般に興味があります(新参者感)。
特に、体感情報(「空間」や「時間」)が、言語構造にどのように表出されているのか、それは定量化できるものか、パターンがあるのか、なぜそのような事が可能になったのか、に興味があります。

という感じで、深夜の自己紹介を終えたいと思います。








2015年5月19日火曜日

時制のない[鏡の中のマリオネット]
Saya pergi ke Karaoke Kemarin
はいさ〜い、Cucuwawaは沖縄出身ですが、沖縄は言語文化が好きな人にはネタ資源の宝庫です。
この場所は掘ればジャンジャンネタや物語が出てきます。
先日じーさん家に遊びにいった時に、興味深い話を聞きました。


その昔沖縄には昔「ぐゎん」という通貨単位があったそう。
「1ぐゎん」は2(十進法の)を表すのだそうです。
「2ぐぁん」は4ですね、
3ぐゎん=6
4ぐゎん=8


偶数は「ぐゎん」のみで扱えます。 そして十進法の"3"を言いたい場合は、「1ぐゎんと、1」という言い方をしたというのです。
つまり、5は「2ぐゎんと1」と言い、7には「3ぐゎんと1」と言います。
一通り話を聞き終えた私。ほほう・・・
じ、じっちゃん!
これってバイナリシステムっぽくない?
表記は違うけれど、2の倍数で数え、差額になる下桁の奇数は1で表す。じーさん!これほんと??興奮気味に尋ねる私を怪訝そうに見つめるジーさん。あまりツッコむとジーさんイライラを目に見える形で表してくるタイプなので『用は済んだぜ!今日も新鮮なネタありがとうなジジイ!』と一目散退却した私は、ググールで「沖縄 数え方 二進法」などで躍起になって探すこと小二日、、、一向に有力な情報は出ない。
これは近日中に、じじいこみゅにてぇー界隈を回って聞き取り調査をしなきゃと思うのでした。


さて、前回に引き続き、インドネシア語のおさらいをしたいと思います。インドネシア語は時制がないと言われております。
冒頭の

Saya pergi ke Karaoke Kemarin

は、「私は昨日カラオケへいきました」という意味です。 Saya 私 Pergi 行く ke ~へ Kemarin 昨日 ( S+V+O)
これを

Saya pergi ke Karaoke besok

にすると、Besok が「明日」という意味がありますので、「私は明日カラオケへ行きます」という未来の話になります。英語のようなbe going toや動詞+ed がいらないことにより時制がない、と言われます。
ですが実際は未来の予定を表す助動詞的なAkan (英語のWillみたい)という言い方もあるようです。
Saya Gak Pergi ke Sekolah besok(私は明日学校へ行きません)明日という単語で未来を表しています
Saya Gak Akan Pergi ke Kantor. (私は会社へ行く予定はありません。)明日という単語がなくとも、Akanで未来の話であることが分かります。
Kalau Tidak Cepat Akan ter-lambat (早くしないと、遅刻します。)
訳を書いていて思いましたが、日本語も未来系の助動詞はいらないですね。「明日」という単語があれば、動詞の変形がなくとも通じます。時間の捉え方が、英語とは違うのだと思います。

ちなみに昨日は本当にカラオケいきました。インドネシア人のオハヨ先輩と。
90年代以前のアニソン縛りで、私が川本真琴の「1/2」を歌ったあとに「1/3の純情な感情」を予約してきた先輩は、胸熱のシムインドネシェイドでした!!!!!!カラオケ終了時間も差し迫り、先輩がクライマックスに歌った曲はなんとBOØWYから〜「ONLY YOU」。この、懐メロというには古すぎるレパートリー、国と時代を超え、締めの森高千里「渡良瀬川」を一緒に歌う我々。あたしゃ自分が怖いよ。

次は「鏡の中のマリオネット」の方、宜しくお願いします。


copyright 2015 @miyagi

2015年5月6日水曜日

言語認識の不思議に囚われたCucuWawaの日記です。
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